三陸町の【三】と現店主の祖父にあたる平三郎の【平】をとり【三平】と名付けた。
1961年に現2代目店主の父が三陸町越喜来に三陸町初となる食堂、『三平食堂』をオープン。しかし、病弱だった初代店主は店にたつことなく他界。その後、現店主の母が女手一つで3人の子どもたちを見ながら、初代店主として三平食堂を切り盛り。
2代目店主は三平食堂の跡を継ぐため、高校卒業後、東京都新宿内の中華料理店・千葉県船橋市内のレストランにて修行を重ね、その後、結婚を機に地元三陸町にもどり1982年8月に2代目店主として妻と共に『三平食堂』を継ぐ。
2011年東日本大震災にて海沿いに位置していた『三平食堂』は被災。
被災後、自宅にて復興工事関係者へ弁当・仕出しの配達を始める。
2012年2月地元の商店が集う仮設店舗、【三陸サイコー商店会】にて『御食事処 三平』をオープン。
2015年7月岩手県で初となる本設商店会【三陸サイコー商店会】内にて現在の『御食事処 三平』をオープンした。
~北里大学水産学部~
東日本大震災前は、北里大学水産学部(現・海洋生命科学部)キャンパスがあり多くの大学生が【お腹を満たす場所】として利用。利用客としてだけではなく、アルバイト先としても大学生の間では親しまれていた。歴代アルバイト数は数しれず。
現在も第2の故郷として足を運んでくれる卒業生たちが多くいる。
~家族経営~
東日本大震災前は店主・妻・長男夫婦・娘と5名で切り盛り。しかし現在は、店主・妻・娘の3名での切り盛りとなり、長期休みや連休になると、孫たちも自主的に手伝いをしてくれます。
御食事処 三平で提供されるワカメや魚は漁師となった長男が養殖や漁で得たものが多く、これも家族経営の良いところ!